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ハードワークに追われている仕事人間これだけは知っておこう


by mush_k
けっこう連動しているデスクまわりと心のなか

もう20年も編集企画会社を経営している友人は、何人もの部下の仕事ぶりを見つめてきた。ワンルームだけの会社だから、彼女の席から社内は丸見え。スタッフも10人前後と小規模だから、何もかもお見通しである。

その結果、得た結論が、「デスクのまわりがきれいに片づいているスタッフは仕事ができる」ということだったという。デスクが片づいている人は、頭のなかも片づいている。だから、仕事の筋がよく見えていて、仕事が速く、的確だ。多少の個人差はあるが、かなりの確率でこう断言できるといっている。じつは、私はかなりのグチャグチャ派だから、この指摘はズキンときだ。

だが、私にも身に覚えがある。二、三の仕事を並行してすすめているときなど、Aの仕事関係の資料はここ、こっちはB関係、などと自分ではきちんと区別してデスクまわりに積み上げたり、ラックに突っこんだりしているつもりなのだが、どういうわけか、気がつくとゴチャゴチヤになってしまっている。

「たしか、こういう資料があったはず」と思い、心あたりの場所を探しまくる。ない。さらに探す。そんなこんなで、予想外の時間を食われてしまうことがあり、「あれっ?もう、こんな時間だ」と気がつくと、その瞬間、すっかり余裕を失ってしまう。探し疲れて、モチベーションが下かってしまうこともめずらしくない。

片づけ作業は、混乱した思考も整理してくれる

国立新美術館のシンボルマークや、ユニクロを展開するファーストリテイリングのCIのデザインなどを手がけたことで知られる、現在、日本を代表するプロダクトデザイナーの佐藤可士和(かしわ)さんの制作室をテレビ番組で拝見して仰天したことがある。

デスクの上にはパソコンと筆記具ぐらい。ほかにはいっさい何もないのである。スタッフのデスクの上も同じ。デザイナーの制作室といえば資料や素材見本などで混乱のるつぼのようなところが多いという、それまでの私のイメージを小気味よいほどにぶち破る空間だった。

佐藤さんだって資料のたぐいを使わないわけではない。必要なときにはロッカーなどから取り出す。終わればすぐにしまう。それを徹底しているだけなのである。「仕事に必要なのは集中力。混乱している環境では集中できない」佐藤さんはそう言い切る。どうもモチベーションが下がってきた。仕事のノリが悪い。この先の展開が見えなくなってしまった。そんなときには、いったん仕事の手を止め、デスクまわりなど、仕事の環境をきちんと整理してみるとよい。

煮詰まっているときには、頭のなかではその問題がくんずほぐれつの葛藤をしているものだ。手元を片づけることと問題解決のあいだに、何の関連性もないではないか、といわれそうだが、じつは、資料や書類を整理しながら、頭のなかでは、混乱し、入り乱れた問題点の整理もすすめているのである。

だから、デスクまわりが片づいたころには、気持ちもすっきり片づいて、心機一転、一気に仕事を加速することができるようになっている。すっかり忘れていた資料が出てきて、その資料の発見が加速にさらに弾みをつけてくれることもある。

最近、「片づけられない症候群」の人がふえている。片づけても片づけても部屋じゅうひっくり返ってしまう。いくら心を入れかえて片づけても、数日すると元の木阿弥になる。キャリア志向の女性に多く、原因はやはり、自分では意識しないままに、仕事とプライベートな暮らしのバランスがとれず、心のなかが混乱していることにあるといわれる。身のまわりが片づいていないことを、そう軽く見てはいけないということだ。
# by mush_k | 2012-12-08 23:05 | すぐ冷静になれる方法
どちらが悪いかは関係ない。怒りを爆発させたほうが負け

まったく世の中、腹が立つことばっかりだ。寄るとさわると、口々にこんなふうに話すことがふえている。たしかに、一昔前よりもずっと「自己チュー」がふえてきて、若い後輩社員など、何をいってものれんに腕押し。「キミのためを思って、いってやってるんだぞ」とつい、声を荒らげてしまう気持ちもわからないではない。

先日も、テレビで、「いまどきのマナー」をテーマにした番組をやっていた。とかく、問題になるストリートや電車内などでのマナーについて、各年代を代表するコメンテーターがそれぞれの考えを述べるという構成だった。驚いたことに、若い世代は、「人に迷惑をかけなければ、どこで何をやるのも個人の自由」と考えている傾向がひじょうに強い。

たとえば、電車内のマナー。優先席近くで携帯電話を操作したり、携帯音源のヘッドフォンから音がもれているのは「いけない」。だが、床に座っておしゃべりしたり、スナックを食べるのは、混んでいるときでなければ、誰の迷惑にもならないから「オッケー」。電車内でお化粧するのも、誰の迷惑になるわけではない。そんなことまでいちいち文句をつける相手こそ、人を不愉快にするからマナー違反だといってのけるのだ。

こんな感覚の社員がもし部下にいたら、上司はいつも腹を立てっぱなしになってしまうだろう。だか、怒りにかられるシーンはまだまだある。ただでさえ厳しい世の中だ。得意先のなかには、無理を承知のうえで難題を押しつけてくることがある。

それを受けてくれば、「いったい、どうやって消化するつもりだ」と上司は怒る。だが、蹴っ飛ばして帰ってくれば、「いま、うちの会社がどういう状態なのか、わかっているのか。仕事を選んでいる場合じゃないんだ」と怒鳴られる。

これでキレないほうがおかしいといいたくなるが、どんな場合も、怒りをあらわにしたとたんに勝負あった!どんな理由があろうと、その瞬間に自分のほうが全面的に負け。自分に負けたことになってしまうのである。

参一瞬の兆候をとらえて、激情をうっちゃる

怒りの前には、瞬時だが、自覚症状かおる。口の中に熱いものがたまってきたり、くらっと軽いめまいに近い感覚に襲われることもある。自分で、自分の怒りの兆候を知っておき、その兆候があったら、その場で自分の感情を全面的にオフ。つまり、自分の感情を「強制終了」してしまうようにするとよい。

具体的には、口をきくことをやめる。何もいわずに、黙ってお茶をゆっくり飲む。手元の書類をゆっくりと見直してみる。ペンを動かし、メモを整理するフリをするのもいい。怒りが爆発するのは一瞬だ。逆にいえば、その一瞬をかわすことができれば、こみあげてくる怒りをうっちゃることができるのだ。

怒りを爆発させてしまったときの後味の悪さは、誰でも身に覚えがあるはずだ。怒りは爆発させず、のみこんでしまったほうが、精神衛生上もずっといい結果になるのである。軽いうつ患者に対して、カウンセラーはまず、怒りのコントロール、アンガーコントロール法を教えることが多いことが、怒りの本質を物語っている。あたかもパソコンのように、強制終了からふたたび自分自身を「立ち上げれば」感情のざわめきはすっかり収まっているはずだ。かえって相手の立場を考える余裕さえもどっていることも多い。

自己チューな若手の後輩社員に対しては、「何も教えられないまま、ただ、甘やかされて育ってきてしまった、いまの若者は気の毒だ。これからいろいろ教えていこう」と怒りを鎮めることができる。難題をふっかけてきた得意先に対しても、「先方もいろいろきついんだろう。いったん引き受けて、あまり無理だったら、再度、相談させてもらおう」などと、こちらが余裕をもてば、活路はちゃんと開けてくる。


# by mush_k | 2012-09-20 06:49 | すぐ冷静になれる方法
しんどいときほど、心にやさしい言葉を口にする

夫婦ゲンカは犬も食わないというが、たいていのケンカや争い事はイヌも食わないのが本当のところ。ちょっとしたボタンのかけ違いを、お互いに過剰に言い立てることから始まることが多いからだ。

それが大げんかになってしまうのは、言葉は言葉をあおるところがあるからだろう。たとえば、上司から、「このデータ、急いで入力してくれ」と頼まれたとしよう。手元はいま、別の用件で忙しい。するとつい、こんな返答をしてしまう。

「でも、いま、手いっぱいなんです」そう、いわれると上司も面白くない。「いつまでグズグズやってるんだ。だいたい、キミはいつも能率が悪いんだよ。もっと手早くできないものかね」とイヤ味たっぷりの言い方になってしまう。だか、ほんのすこし言い方を換えてみると、事態はがらっと変わってくる。

「はい。わかりました。・・・でも、すこし後でもでよろしいですか。いま、前の仕事が残っていますので」こういえば、上司は「ああ、明日いっぱいにやってくれればいいんだ」といったり、「そうか、それじやあ、誰か別の人に頼むか」といってくれたりして、お互いの気持ちを波立たせなくすむ。

参最初のひと言が、のちのちの心理を方向づける

イヤ味っぽい言い方をされたり、怒鳴りつけられたりすれば、誰だってムッとくるし、だからといって言い返してしまえば、摩擦は何倍にもなって自分に返ってくる。やっぱり、上司のご機嫌を損なうことは避けたいものだ。

場合によっては、それをきっかけに、「自分は仕事の能力がないんだ」→「この会社では必要とされていない」→「リストラが始まったら、私はいの一番に肩を叩かれるに決まっている」と、どんどん自分勝手な連想をすすめていき、勝手にモチベーションを失うという回路をたどることになる。精神医学に「極端化」といわれる心の動きがある。「極端化」は、最初の言葉をまちがった方向にむけてしまったことが原因になることが少なくない。

自分で自分を傷つける、言葉の自傷行為もあることも知っておきたい。自傷行為につながりやすい言葉の代表が「だって」と「でも」だ。「だって」といえば、相手への反論につながっていくだけだし、「でも」といえば、自分を正当化するためになんとか言いつくろおうという言葉に発展していく。反対にいえば、このふたつを封印すれば、「極端化」にブレーキをかけることが、身についていくわけだ。


# by mush_k | 2012-09-18 13:10 | すぐ冷静になれる方法