小さなミスが心の余裕を失わせ、大きなミスを呼ぶ
「しまった。名刺を忘れた」人間なんてたわいないもので、たったこのくらいのことで、すっかり動転してしまう。「前に会った担当者か出てきてくれれば、ご無沙汰しています、と頭を下げるだけですむ」。そうした願いが届いたのか、出てきたのは見覚えのある顔の前回の担当者だった。
ほっとして、つつがなく話をすすめたところ、相手は突然、「これからも何かとお世話になると思いますので、部長を紹介しましょう」と言い出した。
本来なら、これは相手の好意の証。小躍りして喜びたいところだが、肝心の名刺を忘れてしまったのだ。だが、向こうがすっかりその気でいるのに、「今日はけっこうです。できたら、次回にお願いします」なんていえない。
そんなこんなの末、「じつは、あいにく、名刺を切らしておりまして...」とかっこ悪い挨拶をした。これは名刺を忘れてしまったときの常套句だ。相手にはそれが見え見え。いっそうバツが悪く、あがってしまう。そんな経験をもつ人は少なくないと思う。
じつは、私には何度かある。最近では、そんなときに備えて、財布のカード入れのところに予備の名刺を数枚入れてあるほどだ。忘れただけなら、なんとかなる。とりあえず、その場は「名刺を切らしてしまった」ことにして、帰社後、すぐに名刺を送ったり、次のアポのときに持参し、「先日は失礼いたしました」と丁重に頭を下げ、改めて名刺を手渡すことなどで乗り切れる。
取り返しがつかないのは、「忘れた!」と意識したとたんに、頭に血がのぼってしまい、話に集中できなくなってしまうことだ。私など、相手の話の要点をメモしながら、頭のなかでは、「昨日、カバンを整理したのがいけなかったんだ。なぜ、昨日にかぎってそんなよけいなことをしたんだろう」などと、ぐじぐじと前日の行動を思い出していたりする。
その結果、頭は留守になり、返事はあやふや。これでは、相手に好印象はもってもらえない。第一、せっかく仕事の機会を得ながら、自分自身がいちばん後味の悪い思いをしてしまうのである。
気持ちを動転させる忘れ物をなくすおまじない
ものに動じない自分、というと、武士道をきわめよ、といわれているように感じる人もいるだろうが、じっさいは、忘れ物などうっかりミスをなくすという、小さな心がけの集積で十分なのである。そうした失敗体験の結果、いまでは、忘れ物をしない「おまじない」を唱えることにしている。それが「あとみよそわか」である。
幸田文さんは、明治の文豪・幸田露伴の娘さんだ。幼いころ、母を亡くした文さんを、露伴は男手ひとつで育てたばかりか、文さんを、どこに出しても恥ずかしくない女性にしようと、日常の立ち居振る舞いから家事万端まで厳しく仕込んだ。
そのしつけのひとつに、「あとみよそわか」がある。瑞的にいえば、女性は立ち上がったあと、さっと身辺に目を配り、たとえば、座ぶとんをさっと整えるなど身ぎれいな印象を残すようにしなければいけないというような教えである。
「あとみよそわか」は江戸時代ごろからよく使われた言葉で、「後見蘇波可」。「あとみよ」とは文字どおり、振り返って見なさいという意味。「そわか」は、「成就しますように」という意味だという。何かをしたあとは、その結果がどうなったのか、よく見なさいよ、という意味だそうだ。
私のような仕事では、もっとも赤っ恥をかくのは、相手からいただいた資料などを忘れることだ。大事な資料はいうまでもないが、たとえ、あちこちで配っているリーフレットだとしても、相手が取材のために用意してくれた資料を忘れるなど、言語道断だ。
それを防ぐために、私は、露伴のしつけを頭に刻み、立ち上がると、頭のなかで、「あとみよそわか」とつぶやきながら、すばやく座っていたあたりを見まわすことを習慣にしている。この言葉をおまじないのように唱えるようになってから、忘れ物はかなり減り、その分、動転することも減ってきた。
「あとみよそわか」は、自分を振り返る言葉にもなる。今日一日、大事なことを忘れてしまわなかったか。毎日、このおまじないを唱える習慣をつけると、思わず、してしまった失礼など、自分の言葉や行動で心遣いの足りなかったところを小さなうちに気づくことができる。小さいうちなら修復もしやすく、大きな波風に襲われなくてもすむようになる。
「しまった。名刺を忘れた」人間なんてたわいないもので、たったこのくらいのことで、すっかり動転してしまう。「前に会った担当者か出てきてくれれば、ご無沙汰しています、と頭を下げるだけですむ」。そうした願いが届いたのか、出てきたのは見覚えのある顔の前回の担当者だった。
ほっとして、つつがなく話をすすめたところ、相手は突然、「これからも何かとお世話になると思いますので、部長を紹介しましょう」と言い出した。
本来なら、これは相手の好意の証。小躍りして喜びたいところだが、肝心の名刺を忘れてしまったのだ。だが、向こうがすっかりその気でいるのに、「今日はけっこうです。できたら、次回にお願いします」なんていえない。
そんなこんなの末、「じつは、あいにく、名刺を切らしておりまして...」とかっこ悪い挨拶をした。これは名刺を忘れてしまったときの常套句だ。相手にはそれが見え見え。いっそうバツが悪く、あがってしまう。そんな経験をもつ人は少なくないと思う。
じつは、私には何度かある。最近では、そんなときに備えて、財布のカード入れのところに予備の名刺を数枚入れてあるほどだ。忘れただけなら、なんとかなる。とりあえず、その場は「名刺を切らしてしまった」ことにして、帰社後、すぐに名刺を送ったり、次のアポのときに持参し、「先日は失礼いたしました」と丁重に頭を下げ、改めて名刺を手渡すことなどで乗り切れる。
取り返しがつかないのは、「忘れた!」と意識したとたんに、頭に血がのぼってしまい、話に集中できなくなってしまうことだ。私など、相手の話の要点をメモしながら、頭のなかでは、「昨日、カバンを整理したのがいけなかったんだ。なぜ、昨日にかぎってそんなよけいなことをしたんだろう」などと、ぐじぐじと前日の行動を思い出していたりする。
その結果、頭は留守になり、返事はあやふや。これでは、相手に好印象はもってもらえない。第一、せっかく仕事の機会を得ながら、自分自身がいちばん後味の悪い思いをしてしまうのである。
気持ちを動転させる忘れ物をなくすおまじない
ものに動じない自分、というと、武士道をきわめよ、といわれているように感じる人もいるだろうが、じっさいは、忘れ物などうっかりミスをなくすという、小さな心がけの集積で十分なのである。そうした失敗体験の結果、いまでは、忘れ物をしない「おまじない」を唱えることにしている。それが「あとみよそわか」である。
幸田文さんは、明治の文豪・幸田露伴の娘さんだ。幼いころ、母を亡くした文さんを、露伴は男手ひとつで育てたばかりか、文さんを、どこに出しても恥ずかしくない女性にしようと、日常の立ち居振る舞いから家事万端まで厳しく仕込んだ。
そのしつけのひとつに、「あとみよそわか」がある。瑞的にいえば、女性は立ち上がったあと、さっと身辺に目を配り、たとえば、座ぶとんをさっと整えるなど身ぎれいな印象を残すようにしなければいけないというような教えである。
「あとみよそわか」は江戸時代ごろからよく使われた言葉で、「後見蘇波可」。「あとみよ」とは文字どおり、振り返って見なさいという意味。「そわか」は、「成就しますように」という意味だという。何かをしたあとは、その結果がどうなったのか、よく見なさいよ、という意味だそうだ。
私のような仕事では、もっとも赤っ恥をかくのは、相手からいただいた資料などを忘れることだ。大事な資料はいうまでもないが、たとえ、あちこちで配っているリーフレットだとしても、相手が取材のために用意してくれた資料を忘れるなど、言語道断だ。
それを防ぐために、私は、露伴のしつけを頭に刻み、立ち上がると、頭のなかで、「あとみよそわか」とつぶやきながら、すばやく座っていたあたりを見まわすことを習慣にしている。この言葉をおまじないのように唱えるようになってから、忘れ物はかなり減り、その分、動転することも減ってきた。
「あとみよそわか」は、自分を振り返る言葉にもなる。今日一日、大事なことを忘れてしまわなかったか。毎日、このおまじないを唱える習慣をつけると、思わず、してしまった失礼など、自分の言葉や行動で心遣いの足りなかったところを小さなうちに気づくことができる。小さいうちなら修復もしやすく、大きな波風に襲われなくてもすむようになる。
PR プロミス審査落ち またプロミスの場合、電話での在籍確認が難しい場合、一度、プロミスに相談することもできます。
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by mush_k
| 2013-05-08 01:02
| すぐ冷静になれる方法