ハードワークに追われている仕事人間これだけは知っておこう


by mush_k
「壁にぶつかった!ここを脱するには、壁を乗り越えるか、引き下がって諦めるか、ふたつにひとつだ。」そんなとき、やる気まんまんの人であればあるほど、なんとか壁を乗り越えたいと願う。

ビジネスでも人生でも、一度、後退局面に入ったら、あとはどんどん引いていくだけになってしまうからだ。相撲の取り口ではないが、「引いたら負け」仕事もプライペートも、そのあたりの呼吸は同じである。

壁を乗り越えようとするなら、もうひとつ、大事なことがある。それまで手にしていたものを一旦捨ててみることだ。両手をイッパイにしていると、新しいものを掴み取る、取っ掛かりさえ掴めないからだ。

カネボウ化粧品が産業再生機構に組みこまれたとき、社長に抜擢されたのは弱冠41歳(当時)という若き一社員・知識賢治さんだった。カネボウと聞くと現在では化粧品メーカーの印象が強いが、戦前は繊維産業の雄として、日本最大売上を誇ったこともある名門企業だった。

しかし、戦後、繊維産業の凋落とともに、薬品、食品事業など多角経営に転じ、結果的にはそれが裏目に出て、ついに産業再生機構の傘下に・・・。機構の打ち出した方向性は、収益力の高い化粧品部門を独立させ、その他の事業は撤退、あるいは事業を再編成して、生き残りの道を模索することだった。

つまり、知識さんが社長に任命された2004年は、カネボウ化粧品がうまくいっているタイミングではなかった。むしろ、競争の激しい化粧品市場で生き残れるかどうか。非常に難しい舵取りを求められる、そんな時だったのである。

知識さんが社長に任命されてからも多少の曲折はあったが、現在では新しい株主も得て立て直しに成功し、業界水準を上回る実績をあげている。41歳の知識さんは見事に、大きな期待に応えたのである。

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# by mush_k | 2016-05-07 12:39 | しなやかな心を保つ方法
知識さんが社長につづく道を辿りはじめたのは、大きな挫折感がきっかけになっている。入社後、第一線の営業マンとして日々、得意先の化粧品店をまわっていた知識さんは、27歳のとき、本社のマーケティング本部に配転になった。

ところが、新しい職場に行って、知識さんは面食らった。「コアコンピタンス、アウトソーシング、シナジーを求める・・・。」マーケティング部ではそんな言葉が飛び交っている。「日本人なのに、日本人が話していることがわからない」知識さんは初め、ほとんど出社拒否症になりそうになったという。

だが、知識さんは、それまで自分がやってきた仕事のやり方を一切捨て、ゼロから勉強し直そうと考えた。自腹を切ってビジネススクールに通い、1年間に100冊近いビジネス書を読んだ。マーケティングの勉強になると思ったことはなんでもやった。

その代わり、それまで決して嫌いではなかったアフターファイブの飲み会に参加する時間はなくなった。いや、「敢えて無くした」といった方がいいかもしれない。自分に向かって、「飲み会、禁止」と命令してしまったのだ。

どんなに誘われても、ときには「今日くらい皆と飲もうか・・・」と心揺れることがあっても、知識さんは、「飲み会は出ないで勉強する」と自分で決めた決まりを守ることの方を選んだという。

知識さんが捨てたのは、飲み会だけではない。それまで営業で身につけた仕事の仕方、多少のプライド、経験値なども一切捨てた。新入社員よりも頭を低くして、マーケティング部の先輩や同僚に、1から教えてくれるようにと頭を下げた。口でいうのは簡単だが、これは中々できることではない。

この猛勉強が実り、気がつくと、知識さんは社内の若手ナンバーワンのマーケッターになっていた。飛び交う言葉さえ分からなかった知識さんは、それまでの習慣を一切捨てることにより、目の前に立ちはだかった大きな壁を乗り越えてみせたのである。

カネボウ化粧品の経営の立て直しにあたり、産業再生機構の最高執行責任者の冨山和彦さんが社長候補者を探したところ、社内に、知識さん以上の人材は見つからなかった。そこで、知識さんに、「明日、朝一番で社長室に来て下さい」と呼び出しをかけたのである。

連絡を受けた知識さんは、「一体、何を叱られるのだろう・・・。なんか失敗したかなぁ・・・」と思いながら、翌朝、社長室に向かったそうだ。ところが、待っていたのは、「新会社の社長になってほしい」という、思いもかけない要望だった。

一瞬、息をのんだが、知識さんはほとんど即決で、社長の重責を引き受けた。「また、ゼロからスタートすれば、社長の任もきっと果たせるのではないか」。ふっと、そうした思いが浮かんできたからだそうだ。



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# by mush_k | 2015-09-14 16:35 | しなやかな心を保つ方法
このカジュアルインテリア雑貨の店が予想以上のヒットとなり、次々にショップを増やして現在に至った・・・というほどビジネスは甘くはない。途中、ショップの拡大ペースに売り上げがついていかず、赤字に陥ったことがある。このとき、本社側はそれ以上赤字が膨らむことを恐れて、フランフラン事業に二の足を踏んだ。

だが、高島さんは、フランフランの赤字よりも、カジュアルインテリア雑貨というカテゴリーがもつ可能性により強く目をむけ、フランフランの経営権を買い取ることにしたのである。大きな借金をしてのことだったから、大バクチであったことほまちがいない。

だが、経営権を買い取ったあと、高島さんが100パーセント自分の手で経営をすすめるようになると、事業はほどなく軌道に乗り、赤字を解消したどころか急成長路線を描き出し、今では東証第一部上場の一流企業の仲間入りも果たしている。

借金をして、会社を買い取るとき、たしかな成算があったわけではない。だが、いまあるものをつぶそうという発想よりも、生かしていこうという発想を選びたかったのだと高島さんはいう。「足りないものを数えあげるのではなく、いまあるものを数えて、それで勝負する」

この高島さんの発想は個人にもあてはまる。いま、確実にあるものならば、1つでも2つでも、それは揺るがぬ自信になる。自信があれば、自分にはあれが足りない、これも足りないと怯えることもなくなっていく。怯えがなければ、少々のことにヘコんだり、グラついたりすることはなくなるものだ。


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# by mush_k | 2014-05-09 23:07 | しなやかな心を保つ方法